江戸時代は吉田と呼ばれ城下町として栄えた豊橋は、東海道要衝の主要宿場町としても繁栄した。そんな吉田には、江戸幕府の銅銭「寛永通宝」の鋳造所「銭(ぜに)座」があり、銭座がなくなった後も「吉田駒曳(こまびき)銭」という一風変わった銭が造られ続けたという。